奨学金を親の生活費にあてている学生さんへ
自分のブログの趣旨と違う内容なので書こうか迷ったのですが、人生でこの先苦労する若者が一人でも減って欲しいので書くことにしました。
奨学金を親の生活費に当てている学生さんへ
管理を親にまかせにしないで!
学費以上の奨学金を借りて親の生活費に充てている方、もしくは親に口座を預けており親が奨学金を管理している方、
絶対にやめてください!!
奨学金を親の生活費にあててはいけません。
奨学金の口座はご自身で管理してください。
親が渡してくれない、親が学費より多く借りろと言う・・・
負けたらダメです!
奨学金の返済負担は想像以上です!
学校を卒業したら親とは即、別家計です。
あなたはあなたの人生を自分で歩んでいきます。
自分で稼ぎ、自分で生活していきます。
奨学金は、人生において間違いなく重い重い負担になります。
もしかしたら学生アルバイトで働いた時間分お給料をもらえていることで、『社会人になったらもっと自由なお金が増える』と思っている方がいるかもしれません。
全く違います。
月の固定給与額が今のアルバイト代より高く見えても、社会人は給与として額面通りのお金が振り込まれる訳ではありません。
社会人になったら年金、健康保険料、住民税といった社会保険料(税金)で何万円ものお金が毎月必ずかかります。
収入が増えればその分税金も上がります。
学生アルバイトに毛が生えたくらいの給料からでも税金は容赦なく引かれていきます。
ちなみに私は事務職で収入は多くないですが、それでも社会保険料で5万円以上毎月引かれています。
私の夫は総合職で私より給与が高いですが、社会保険料は10万円以上引かれています。
2馬力で働いていても2人の収入から毎月約20万以上が税金として引かれていくのです。
年金、健康保険などの社会保険料は年々高くなっており、これからもどんどん上がり続けます。
実家を出るのであれば家賃・水道代・光熱費・食費・携帯代を自分で払っていかなければいけません。
未来を過信しないで!
学校を卒業しても就職できるかわかりません。
お給料をもらえるようになっても収入は親の世代ほど簡単に上がっていきません。
入社した職場で何年も働けるかわかりません。
3人に1人は3年以内に離職します。
3年以内の離職で最初の職場より条件の良い就職先が見つかるとは限りません。
まだ先のこと、未確定なことに依り頼まないことです。
社会人になったら大企業に入社でき、順調に昇給できると思わないことです。
社会人になったらたくさんのボーナスが出るものだと思わないことです。
もしかしたらそうなるのかもしれません。
でも今は先のことは誰にもわからないのです。
自分がいつまでも若く健康でいくらでも無理がきくと思わないことです。
奨学金は20代の間だけ返すものではなく、長ければ40代まで返し続けます。
未来の自分の生活、自分の人生は自分で守ってください!
親を過信しないで!
やむを得ない事情で親の生活費に充てた場合も、あなたは将来必ず負担に思うことになります。
奨学金は利子が低いからと親に言われても、真に受けてはいけません。
有利子であれば20年の返済期間のうちに利子は何十万にもなります。
親に後から代わりに返済するからと言われても信じてはいけません。
親が返済するのであれば初めから親が借金すればいいのです。
たとえば将来結婚する時、あなたが奨学金を持って結婚することがになったら相手の親はいい顔をしません。
特に女性は結婚・出産で仕事を休む可能性があるので相手の親はますますいい顔をしません。
結婚相手にも奨学金がある場合は、2人の返済額で家計が圧迫されます。
たとえ将来、病気・妊娠・失業などで収入を失っても奨学金の返済は続きます。
そしてその可能性は誰にでもあります。
もし奨学金を学費のみ、もしくはあなた自身の生活費として使ったと言うのなら、納得できるでしょう。
そのお金を消費したのは紛れもなくあなた自身だからです。
その奨学金は、義務教育以上の教育を望んだあなた自身が、将来の自分に投資する形で借りたものだからです。
頑張って、学費以上の価値を発揮してください。
私はこの記事では、学費以下の奨学金や一人暮らしの生活費のための奨学金については言っていません。(こういう方は、ご両親が決して楽ではない家計の中から、義務教育以上の学費・生活費を負担してくれていることに感謝すべきです。)
あくまで学費以上の高額な奨学金を、親のために借りている人のために書いています。
特に親に言いくるめれて、本人が仕組みを理解していない・納得していない状態で名義貸しのようなことをさせられている人のために書いています。
奨学金を借りていてそれを生活費に当てている親は、たいてい子供に感謝しません。
本当は子供が親にお金を渡していることに他ならないのですが、育英会がお金を直接口座に振り込んでくるので、親は子供のお金であることを忘れてしまうのです。
また、実際目の前の子供はまだ働き出してもいないので感謝する気にもならないのでしょう。
子供手当と同じように月々親に勝手に給付されるものだとあっさりと自分のものにしてしまいます。
絶対に阻止してください。
返済が始まれば毎月あなたの口座から勝手に数万円引き落とされていきます。
返済が滞ったらあなたに催促の電話・手紙が届き、あなただけがブラックリストに載せられます。
奨学金という言葉の響にごまかされないでください。
ただの借金です。
親に期待しないで!
あなたの親は返済が始まったあなたに、20年間毎月忘れず感謝してくれるでしょうか?
あなたの苦しみを理解してくれるでしょうか?
もし親が返済すると言ったなら、本当に何年も続く返済を肩代わりしてくれるでしょうか?
返済20年プランだと、あなたに子供が生まれてからも、奨学金返済が続きます。
子供の学費をためてあげたい時に親の生活費を返済していくなんて嫌でしょう。
親の生活費は親が自分で払うべきです。
親が奨学金を奪う理由として、例えば『今までの子育てにお金がかかったから』といっても聞く耳を持ってはいけません。
子供を1人前になるまで育てるのは生んだ親の義務です。
子供は好きで生まれたわけじゃないけれど、親は好きで生んでいるのです。
繰り返しになりますが、将来奨学金はあなた名義の借金です。
いくら『親のために』『親が使った』と嘆いても誰も聞いてくれません。
返済はあなたの義務です。
きっと親の生活に余裕が出たら親が返済してくれる、と期待しないことです。
子供の奨学金を使わないと生活できない収入レベルの親です。
どんどん年も取り、親自身が病気になることもあります。
未来の親にも期待しないでください。
奨学金は必要額ギリギリで!
家を買いたい、車を買いたいとローンを組むときに奨学金はマイナスになります。
結婚もそうです。
結婚相手は理解してくれても、相手の親は理解してくれないかもしれません。
『親が使った』と正直に言おうものなら、どんな親だ!となってしまい余計マイナス印象を与えます。
奨学金はなるべくギリギリ学費分だけ借りてください。
学業がいっぱいいっぱいでバイトもできない状態であれば、ご自身の生活費分までなら自分でも納得できると思うので良いと思いますが、そうでなく、親に言われるまま実家の家計のために借りるのはストップです。
とても有り難い奨学金制度ではありますが、一方で社会を知らない未成年に容赦なく借金を負わせてくるのが奨学金です。
親の言うまま、親の望むままに借りてはいけません。
下手したら『借りれるだけ借りなさい』
『有利子と無利子の2種類借りなさい』と無駄に高額要求してくる親もいるでしょう。
あなた名義のあなたの借金です。
将来のあなたの時間(お金)を使うことなのだからあなたが納得するように使ってください。
たとえ親のために一時期使うにしても、本当に心から納得していないとダメです。
『親が泣きついてくるから』『親が怒ってくるから』って奨学金を明け渡してはいけません!
目の敵にされて辛くても、出て行けと言われても、負けたらだめです。
親が強いのは今だけです。
親がとてつもなく大きな存在、怖い存在に見えるのは今だけです。
社会を知ったら親のしょぼさに愕然とします。
今負けたら20年恨むことになります。
(もちろんあなたが納得して、親にぜひ生活の足しにしてほしいと望んでいるのであれば、決して恨むこともないでしょうが。)
学生の時にも生活費を入れろと言われるなら、バイトでもなんでもして数万円の食費を入れるしかありません。
奨学金を親の生活費に回すのは絶対おすすめできません。
最後に
もし自分と同じように毒親に苦しむ学生さんがいたら・・・と思って書きました。
自分が今学生に戻れるならやり直したいことたくさんあります。
そのほとんどが親関係です。
経済的なことで、不機嫌になる親を見たくなくて奨学金を口座ごと預けました。
国立大学へ進学(自宅から登校)しましたが、学費以上の奨学金を借りていました。
親は「ちゃんと返すから」「(あなたが)結婚するときには代わりに返すから」と私を言いくるめ、まともな謝罪や感謝をすることもなく、結局一度も返しませんでした。
親の世代の感覚で「奨学金の数百万くらい社会人になったら大した額じゃない」と言われたこともあります。悔しくて涙が出たこともあります。
学生は社会を知りません。調べたってわかることは表面的なことで、実際に社会人になってみないとわからないことがほとんどです。
だから一番身近な社会人である親の言うことを必要以上にまに受けてしまうんですよね・・・。
それでも自分の意志で奨学金を使って学校へ行くのなら、本気で何かを得て卒業してくださいね!
人生で一番時間があるのは大学生時代です。
でも飛ぶように時間が過ぎていきます。
びっくりするぐらい早いです。
勉強・就活・友情・真面目な恋愛・・・意味のあることに時間を使ってくださいね。
飲み会・しょうもない出会いなど、その時はスリルがあっても結局何も残らないことには時間も金もかけないでOKです。
私ももっと学生時代を有意義に過ごすべきだったと後悔しています。
この文章を読んでくれた、私と同じ境遇のあなたが、有意義な学生生活を送られるよう祈っています。(とある30代の女性より)
おっぱいトラブル!恐怖の乳口炎・乳腺詰まりを自力で解消!
乳口炎、乳腺詰まり、乳腺炎など母乳にはトラブルがつきものですよね。
今回は乳口炎、乳腺詰まり
について、自分の体験から、その症状と対処法、予防法を紹介したいと思います。
乳口炎の症状と対処法
乳口炎の症状
乳首がめちゃくちゃ痛い。
触れるだけでも鋭く痛み、授乳時にはそれこそ目をギュッと瞑るような鋭い痛みが走る。
母乳育児を始めて2週間と少し。母乳育児にまだ慣れていない時だったのでので、授乳時に乳首が痛むのはある程度覚悟していたが、ある時からどう考えても今までとは違った痛みが走るようになった。授乳時はもちろん、授乳していなくても片方の乳首がひどく痛む。手で触ってみると右側の乳首が異様に硬くなっているようだった。
母乳初心者の私は、最初『これが乳腺炎か!』と早とちりしかけたが、どうも特徴が違うらしい。ネットで散々調べた結果、これは乳腺炎ではなく、乳口炎らしいという結果にたどり着いた。
乳口炎とは・・・
母乳の通り道である乳管の先端(乳管口)に小さな白い塊(白斑)ができた状態、炎症を起こした状態。
授乳姿勢が悪かったりすると、乳頭に余計な負担がかかって母乳の成分が乳腺に詰まってしまい、炎症を起こす。
私の場合は慣れない添い乳をしたのがよくなったようだ。
添い乳は便利だし楽なのでついついしてしまっていたが、その後の乳腺詰まりで助産院にお世話になった際、添い乳はやめた方が良いと指導された。
無理ない体制で添い乳できるほど、私は胸が大きくなかったようだ(涙)
さて、私の場合、乳口炎の白斑を肉眼で見つけることはできなかった。けれど、確かに乳首の中でもある一箇所で激痛を感じたので、おそらくそこに白斑ができていたのだと思う。
シャワーを浴びながら乳首とにらめっこし、白斑を探したが見つけられず、変にいじったことでかえって激痛になってしまった。
乳首の痛みはひどくなると喉の奥まで響いてくることを知って驚いた。
乳口炎の対処法
乳口炎には、正直これと言った対処法がなかった。逆にいうと、放置していても治るものらしい。
ランシノーやピアバーユなどの乳頭保護クリームを塗って乳首の皮膚のケアをしつつ、とにかく痛すぎて授乳が苦痛だったので、右側の授乳はもっぱら手動の搾乳機を使った。
痛みも搾乳機なら耐えられた。
3日くらい搾乳機を使って、4日目になると、痛みの中に痒みが混じるようになった。
痛痒いという感じだ。
以降、鋭い痛みを感じることはなくなっていった。授乳中にも痛みを感じることが減って行き、いつの間にか治っていた。
激痛だった時には、あまりの痛みに4日後の通院(たまたま産婦人科の通院予定があった)を待てる気がせず、救急で先生に診てもらいたいとまで思ったが、いざ通院の日になってみると痛みは7割方なくなっていた。
一応先生には激痛があったことを報告したが、胸を確認後、今後も馬油などでケアするようにとのアドバイスのみで薬なども処方されなかった。以後、本格的に授乳に慣れて乳頭が柔らかくなるまでクリームを塗り続けることで再発は防止できた。
乳腺詰まりの症状と対処法
乳腺詰まりの症状
さて、乳腺詰まりである。
乳腺詰まりは乳口炎のように鋭い痛みではないので、気づきにくい時がある。
私が気づいたのは母乳を飲ませても娘がすぐ泣いたから。
なかなか飲み終わらない。飲んだ後も機嫌がよくならない。
そういうときは母乳が十分出ていない場合が多い。
母乳が作られていないときは感覚的にわかるものだけれど、乳腺詰まりの場合は、母乳はちゃんと作られているので、満足しない娘をみて『はて?』となる。
何度か授乳タイミングがくるうちに、乳房の一部が硬くなっていることに気づく。
その部分だけ、母乳の出口が閉まっているので母乳が出ることができないので、大きなしこりのようになってしまっているのだ。母乳の出口は複数あるので気づくのに遅れてしまうことが多い。
詰まっていない出口に繋がる乳腺は授乳後空っぽになってふにゃふにゃになるが、出口が詰まっている乳腺は授乳が終わってもふにゃふにゃにならず張ったまま。
時間が経つと次々母乳が作られるので乳腺が圧迫されていき、だんだん痛みがで始める。授乳するにも、赤ちゃんも母乳が出ないのでなかなか進まない。しまいには泣き始めてしまうこともある。
この乳腺詰まりの解消法はいくつかある。
私が試してきたものを紹介しようと思う。
対処法1 授乳角度を変える
赤ちゃんを反対持ちにしたり、床に置いて上下逆さまから吸ってもらったりする。角度を変えることで急に詰まりが取れて母乳が溢れ出す場合がある。
対処法2 オリーブオイルマッサージ
乳腺の詰まりが乳首の表面に近い時に有効。
オリーブオイルをつけて、とにかく乳首をつまんだり、痛みがあるところを中心に皮膚を溶かすつもりでマッサージ。どこかのタイミングで詰まりが溶けたら母乳がピューっと飛び出して楽になる。(マッサージは20分以上しないこと。炎症になる恐れがある)
対処法3 助産院でのマッサージ
母乳マッサージをしている助産院で乳腺詰まりを解消してもらえる。
予算は20分で4〜5000千円が相場。赤ちゃんも連れて行くことができる。
私は近所に桶谷式の助産院があったのでそこに駆け込んだ。
そこでは、上半身を脱いで横になり、お湯で暖められた暖かいタオルを使って乳房のマッサージを行う。乳房部分のマッサージは気持ち良かったが、詰まりを取る作業(乳首部分)はめちゃくちゃ痛かった。詰まりが取れたあとも全体をマッサージしてもらえて余分な母乳を出してもらえる。ちなみにここでの領収書は医療費控除の対象になるとのことだった。
対処法4 牛蒡子茶(ごぼうしちゃ)
ごぼう茶ではないので注意!ごぼうではなくごぼうの種。漢方薬局に売っているお茶である。
母乳用のハーブティーより効果があるということで乳腺詰まりでお世話になった助産院で勧められた。飲むと乳腺が開くとのこと。
<作り方>
- 1日分10~~25gの牛蒡子を土瓶又は小鍋に入れ、600CCの水を加える。
- 弱火またはとろ火にかけ、水量が半分の300CCになるまで30~~40分程煮詰める。
- 茶こしで牛蒡子を取り除き、煎じた液を1日3回に分けて(100CCずつ)食前の30分~~1時間前などの空腹時に服用する。
- 残った煎じ液は、冷蔵庫に入れて保存。(1日分以上の作り置きはできない)
普通のお茶として飲むことも可能だが、作り方が面倒な上、めちゃくちゃまずいのであまりオススメはできない。最初はあまりの不味さにびっくりしてしまうかもしれない。
効果について。ある時、助産院でも取れない乳腺詰まりが発生し、午前中に激闘20分して解消できず、夕方に再度きて欲しいと言われた時があった。その際このごぼうし茶を10g手渡され、上記の作り方で飲んでくるように言われた。まさにわらにもすがる思いでしっかり飲んで夕方再度助産院で治療を受けたところ、開始5分くらいで詰まりが取れてしまった。助産師の方も『やっぱりごぼうし茶効果あるね!』と喜んでいた。
私は漢方薬局でごぼうしを購入し、詰まりかけた時はせっせと作って飲むようにしている。
漢方薬局では150gで1500円ほどしたが、アマゾンではかなり安く売っているようだ。楽天では見つけられなかった。
対処法5 自力で角栓を絞り出す
最後に私が自力で乳腺詰まりを解消している方法を紹介する。
痛みを伴う場合があるのであまりおすすめしないが、私はしょっちゅう詰まるのでこの方法を多用している。
まず張ってしまった胸をどうにかしたい時。
乳腺詰まりは出口が完全にふさがっていない場合も多く、詰まっている乳腺からも母乳がにじみ出ているため、取るべき角栓が見えづらいことがある。
そういう場合はお風呂に入ってひたすら絞り続けることである程度胸の張りを抑え、痛みを解消することができる。 体が温まって角栓も溶け出してくれたらそれで解消できる場合もある。
上記で解決しない場合、角栓がどこにあるかわからない場合は、以下の方法を試してみて欲しい。
乳輪から乳首を指で引っ張ってびよーんと伸ばす。
2、3cmくらいまで伸ばしたら、伸ばした箇所をもう一方の手の指で押しつぶすようにつまみ、小さな粒のような感触がないか確かめる。
通常乳首を引っ張った箇所を指で押しつぶそうとしても痛みは感じないはずだが、角栓がその中にある場合は痛みを感じる。
もし粒のようなものがある感じがしたら、その粒を出口(乳首の先端)の方へ押し上げる。押し上げる作業は痛みを伴うので、その箇所だけつまんだり、なんとかその粒を潰そうと試みて欲しい。いずれ粒は小さくなってくる(or乳首の先に押し上げられてくる)。
粒の感覚が乳首の先端あたりまできたら乳首の先端を凝視する。
白っぽい粒がどこかの出口から顔を出していると思う。そのまま絞り出せれば良いが難しそうだったら針などを使って取り出す。(乳首の先端は傷がつきやすいのでご注意)
プチッという音がして母乳が飛び出してきたら成功だ。
もし乳首の途中や乳首の先端に粒が見つからず、押しても痛みがない時はもっと奥の方に角栓があるのかもしれない。そういう時は乳房の硬くなっている部分を外側から内側に向けて押し流すようにし、粒を先端に運ぶように頑張ってみてください。
最後に
乳腺詰まりのトラブルは経験上、
- 授乳姿勢の悪さ
- 水分不足
- 疲れ(睡眠不足)
- 冷え
が関係しているようです。
夜中の授乳もある中でなかなか予防するのは難しいけれど、水分不足については自分の心がけ次第なので、なるべく多くの水分を飲むよう意識してみてください。
授乳初期は、授乳したそばから喉が渇いてくるのでしっかり水分補給できていたのに、慣れてくると喉も乾かなくなり、水分補給を忘れてしまうということがあります。
リスクと思えることを無くしていくことで、なるべく乳腺トラブルを回避していきたいものです。お互い、母乳育児頑張りましょうね!
#母乳トラブル
#乳腺炎
#乳口炎
#乳首の痛み
#胸のしこり
離乳食スタート時の便秘 イチジク浣腸と腹部マッサージで解消した話
6ヶ月の娘が便秘になってしまった。
多い時には1日4、5回もウンチをする娘。
それがここのとこ数日間全く出ない日が続いている。
何が原因なのかははっきりしないけれど、きっかけと思えることに離乳食がある。
今回は離乳食スタートと共に始まってしまった娘の便秘と、その解消法を書いてみた。
離乳食スタートで便秘?
5ヶ月後半になって、そろそろ、ということで離乳食を始めてみた。
少量のご飯をお湯で溶かして茶こしで裏ごししたお粥。
お粥といっても固形物はほとんどないお湯に近い状態のものを、午前中に一回小さじ2分の1ほど与えるというやり方だ。
初めてのミルク以外の食べ物に、娘はしかめ面をしながら何とか飲み込んでくれた。
その日は離乳食前に1回、離乳食後に1回、計2回の便通があった。
翌日、翌々日も同じようにごく少量のお粥を1口ずつ飲ませた。
便通が止まってしまった。
離乳食初日に2回出たのを最後に。
怖くなって離乳食は3日でやめてしまった。
綿棒浣腸や腹部マッサージなどやれることはやってみたがビクともせず。
丸3日出なかったので4日目の夜、イチジク浣腸なるものを行うことにした。
イチジク浣腸を試す
便通が止まってからも、娘は不機嫌になったりミルクを吐いたりすることなかったけれど、生まれてからここまで出なかったのは初めてなので親の私が焦ってしまった。
お腹が痛くなったり、ミルクを吐くほど苦しくなる前に出してあげたいと思ったのだ。
近所のマツキヨで400円くらいで購入。イチジク浣腸はいくつか種類があるが、赤ちゃん用と書いているものを選ぶ。
イチジク型の小さいボトルが4つ入っており、赤ちゃんの場合は1回につき、1個のボトルの半分を使う。
湯煎で少し温めてから、娘を仰向けに寝かせて、youtubeを見せて気持ちを逸らせてからいざ注入!
ボトルの口部分をしっかり挿入してから、親指と人差し指中指の3つの指を使ってボトルを一押しする。この一押しでちょうど半分の量が注入される。
注入後、すぐに新しいオムツを履かせて待つこと3分。
突然、プリプリッと久しぶりの便通があった!!
すぐにオムツを変えてあげようと開けた瞬間、第2弾も出るわ出るわ。
やっぱりたくさん溜まっていたようですごい量のウンチが出た。
服が汚れないように広告の紙を引いてオムツ替えをする。
オムツは丸められる状態でもなかったので半分に畳んでポリ袋に入れてゴミ箱へ。
広告紙の上でお尻を拭いて完了!
娘はケロリとしていた。
浣腸されたことも気づいていない様子で、便通前も後も痛がったり泣いたりは一切なく、親としてはかなりホッとした。
便が硬くなったり、黒くなったりはしていなかったので本格的な便秘ではなかったのかもしれないが、早めに解決できて一安心だ。
ボトルに半分残ったイチジク浣腸は再利用できないのでポイした。
翌日には通常通り2回便通があった。
これで解決したと思っていたのに、何とまた便秘が始まってしまった。
浣腸後再び便秘
浣腸翌日の便通を最後にまた全く便通のない日が続く。
離乳食は与えていない。
また丸4日出なかった。
4日目の夜には娘のお腹が丸く膨らんでおり、明らかに張っている感じがした。
それでも機嫌は良さそうだった。
5日目の朝、寝起きにオムツを替えて母乳を与えようとすると10秒ごとに乳首から口を離し、なかなか授乳が進まない。
前の授乳から6時間ほど経っており、お腹は空いているはずなのにミルクが飲めなくなっていた。
これはマズイ!
またイチジク浣腸してあげなくちゃ!
そう思ったけれど、毎回の排便に浣腸を使うのも抵抗があったので最後にお腹のマッサージを再度してみることにした。
効果的な腹部マッサージ
腹部マッサージのやり方説明にはとにかく優しく、と書かれていることが多いが、優しく撫でていても効果がでなかった。
今回は少し強めに押す感じにしながらお腹を中心に時計周りにマッサージすることにた。お腹の凹みをみながら押す強さを調整するため、服の上からではなくお腹を直接マッサージ。直接肌に触れると、腸の動きがよりはっきりわかる感じだ。
ゆっくりクルクルと何回もマッサージした。
20分ほどしていたと思う。
さすり続けていると急に娘のオムツあたりが湿ってきた。
慌ててオムツを開けてみると、前回の浣腸並みにたっぷりのウンチが出ていた。
腹部マッサージが効いてくれたみたいだ。
マッサージは現在も継続中だが毎日便通があるのでしっかり効果があるようだ。
<効果的なマッサージ>
- マッサージするときは、直接お腹に触れ少し強めを意識しながらしっかり行う。
- 硬くなっている箇所がないか少し押して確かめる。
- 朝、お風呂中、寝る前と数分ずつマッサージしてあげる。
便秘解消後
便秘解消後、娘はしっかりミルクをのみ、その後再び昼寝(朝寝)に入ってくれたので本人もスッキリして楽になったのだと思う。
その後も毎日便通があるので、お腹も凹んで柔らかくなってくれている。
月齢が進むと、便を体の中に溜められるようになり、小さい時のように1日に何度も出すのではなく、その子のペースで排便するようになるらしい。
だから数日出なくても心配しすぎなくて大丈夫と言われているが、親としてはやっぱりいつでもスッキリしていてほしいと思う。
私自身、毎日出なくても平気な人間だが、それでも4日5日と出ない日が続くと何となく気持ちが晴れなくなるものだから。
余談だが、自分も小さいころお腹が痛いとかは父親にお腹を出して丸くさすってもらっていたのを思い出した。
腹痛に一番効果があって、痛くなると「さすってくれないかなぁ」と思いながら、父親に面倒くさがられるかもしれないのが怖くてなかなか言い出せなかった。(そんなことを面倒がる親ではないが、子供ながらに気を使っていた)
やっぱりお腹を直接さするのは効果があるらしい。明日からもさすってあげよう。
愛しい子供の愛し方を考える。
子供の愛し方を考えてみようと思う。
娘が生まれてから私は子供が大好きになった。
言葉通り、生まれた瞬間から大好きになったのだ。
娘は帝王切開で生まれた。
胸から下を麻酔にかけられた状態でいつ生まれたのかも体感できない状態だった。
前々日からの陣痛で寝不足状態、麻酔直前には襲い来る痛みの波で半分パニックになっていた。その直後の麻酔。何だか全てが夢の中のように感じていた中での誕生だった。
麻酔が効いて、先生たちが私のお腹を開いていただろう時、私はあっという間にすぎた妊娠生活のことを思っていた。その時々で爆発するほど辛い気持ちになったこともあった妊娠期間。
だけど、朦朧とする意識の中で、私はただ『あぁずっと幸せだったな』と思った。
ポロポロと涙が出た。お腹の中にいる時、そんなに大事にできていなかった。
それでもずっと一緒にいてくれたんだなと気づいて、ただ泣けてきた。
娘が無事に生まれてくれて本当に嬉しかった。誰よりも大事にしようと思ったし、恋をしたように娘のことが大好きになった。そして、他の子供たちもこうやって生まれてきたんだと思うだけで、今まで何とも思っていなかった子供たちをとても愛おしく思うようになった。
本題に入りたいと思う。
こうして生まれた愛しい子供を、どうやって愛したら良いのかふと考える。
赤ちゃんは赤ちゃんのままではなくいずれ大人になっていく。
自立して自分から巣立っていってしまう。正直今から寂しい。だけど、自分が手放したくないからといって自分に依存させるのは良くない気がする。もちろん自分が依存するのも間違っているだろう。すごく難しい。
だから、今、ただ今の自分が考えていることを書いておこうと思う。
間違っているかもしれない。
ただの理想論かもしれない。
だけど自分で考えて意識していなかったら、多分、いつか娘の存在を当たり前に思ってしまうようになる。いることが当たり前で、できないところ足りないところに目を向けてしまうようになるかもしれない。だから今書いておきたいと思う。
- 私は娘のありのままを受け入れたいと思う。
- 娘に本を読んであげようと思う。
- 娘の好きになった歌を一緒に歌ってあげようと思う。
- 娘が大事にしているものを大事にしようと思う。
- 娘の努力を誰よりも認める人でありたいと思う。
- 娘が知りたいこと、興味を持ったことを探求する手伝いをしたいと思う。
- 娘が目標を立てたら一番の応援団長になってあげたいと思う。
- 娘が落ち込んでいたら、話を聞いて励ましてあげたいと思う。
- 娘がいじめられたら何としてでも娘を守る。
- できなかったことよりできたことを見つけてあげたいと思う。
- 娘に私が娘を大切に思っていることを毎日言葉で伝えてあげたいと思う。
- 毎日ギュッと抱きしめてあげたいと思う。
- 娘が今、ここに存在していることを神様に毎日感謝しようと思う。
神様ありがとうございます!
自分は娘のために大したことはできない。
というよりほとんど何もできない。お金を稼ぐ方法も教えられないし、すごい学力やコネクションもない。だけど、上記にあげたことなら、今の自分でもできると思う。
大好きな人に大好きだと伝えるのは、瞬間的には簡単だけど、継続するのは難しい。
だからいつだって意識したいと思う。
以前の記事でも書いたけど、当たり前の毎日は絶対に続かない。
不幸がくるとか、事故が起こるとかではなしに、この世自体が無常なものだから。
高校生の頃に古文でならった方丈記。あの頃はわからなかったけど、今になって本当にそうだなぁと思います。
ゆく河の流れは絶ずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と、またかくのごとし。(現代語訳:河の流れは絶えることなくどこまでも流れていき、しかもそれは元と同じ水ではない。よどみに浮かぶ泡は一方では消え一方ではでき、長い間留まっているということがない。世の中の人とその住居とも、同じようなものだ。)
無常な世界で生きているからこそ、今自分の周りに存在している人たち、とりわけ自分にとって特別な存在である娘、そして自分が大切に思う人たちのことを、絶対に当たり前だと思わず、毎日愛していきたいと思う。
6ヶ月の赤ちゃんずり這いスタート 成長のために親が手伝えること
6ヶ月と1週間。
娘がずり這いを始めました。
ずり這いができるようになるまでの軌跡とトレーニング内容を書こうと思う。
ずり這いができるようになるまで
うつ伏せにしても頭を持ち上げることすらできずに泣きじゃくっていた1ヶ月目。
2ヶ月になると頭を数秒持ち上げられるようになった。
その頃はげっぷをさせようと縦抱きしても、自分で頭を支えようとする動きも見せていた。
3ヶ月をすぎると、頭だけでなく上半身をしっかり持ち上げるようになり、寝返りの練習を始めるようになった。
首も徐々に据わってきて表情もどんどん豊かになってきた。
4ヶ月になると膝の上で据わった体制を好むようになり、家族が食卓を囲む時には一緒に囲みたがるようになった。横抱きはもうすっかりさせてもらえないようになってしまった。
5ヶ月になる直前に自分で寝返りをするようになった。
一旦できるようになると1日に何度も寝返りを繰り返した。
そして仰向けの状態より、うつ伏せの状態で過ごすことを好むようになった。
6ヶ月になる直前には目の前におもちゃを差し出すと両足を魚の尻尾のようにバタバタさせて前に進みたそうにしていた。
そして6ヶ月を少し過ぎた時、手と足とお腹を使いながらようやく少しだけ前進することができるようになった。
一度前進できるようになると早いもので、翌日には1mくらいの距離を、一人で地道に進んでいる娘がいた。
夜中に目が覚めてもすぐに泣かず、自分でうつ伏せになり、布団の上を少しずつ移動しながら遊んでいる。
数ヶ月前まで体の向きをかえることすらできなかったのに。たった10cmすら移動できなかったのに、本当に赤ちゃんの成長スピードには驚かされる。
赤ちゃんの成長段階は飛ばさない方が良いらしい
赤ちゃんの中にはずり這いを飛ばしてつかまり立ち を始める子もいるようで、成長の仕方は個人差があるそうだが、段階を踏んで順序通りに成長することにはそれなりの意味があるらしい。
実は娘が5ヶ月になった頃、私の膝の上で立たせるようなポーズをさせた時、娘の足にしっかり力が入っているのに気づき、試しにつかまり立ちをさせたことがある。
ソファに立たせた状態で手を離すという方法でやってみると娘は10秒ほど自分でバランスを取りながら立つことができた。
小さい体で一生懸命立っている姿がなんとも可愛らしく、何度かさせてしまっていた。
ところがその後、成長の順番飛ばしはよくないということを知って、慌てて立たせることはやめてしまった。
我が子のずり這いトレーニング
仰向けに寝かされていた赤ちゃんはある時自分で寝返りを始める。
自分で手足を使って進み出し、ある時おすわりしたり、つかまり立ちを始める。
準備ができていない段階で大人が無理な体勢を取らせてしまうと赤ちゃんの体に思わぬ負担をかけてしまうらしい。
娘は5ヶ月頃にはうつ伏せから前に進もうと手足を不器用に動かす様子を見せていたが、一向に前に進めていなかった。
よく見たら足がまっすぐに突っ張っている。
足をしっかり曲げて、足の指を使って地面をけるようにして進まないといけないのに、娘の場合は足のつま先が浮いてしまっている状態だった。
娘の足を持って足を曲げ伸ばしさせて見た。片足に力が入っていてなかなか足が曲がらなかった。仰向けにして足の曲げ伸ばし運動をさせたり、うつ伏せにして足の曲げ伸ばしをさせた。
あなたの体には足というものがついていて、こんな風に動く、こうやって曲げ伸ばしできるんだよ、ということを伝えるつもりで足の可動域を教えるようにした。
徐々に娘の両足が動くようになった。
(足の曲がりにくさについては股関節脱臼を疑って以下のような記事も書いています。
今のところほとんど問題なく動くようになったので大丈夫だとは思うが、一応今月末の検診で見てもらう予定。)
ベビージムで遊んでいてもそれまでは手でおもちゃを引っ張って遊ぶことが多かった(足はお留守状態だった)が、足を持ち上げて遊ぶようになった。
足を掴み、足の指を自分の口へ運ぼうとするようになった。
そしてうつ伏せにした時に自分の足を地につけ、曲げ伸ばしをして前に進めるようになった。
娘はお風呂に入る時にスイマーバという赤ちゃん用の浮き輪を使っており、私が体や髪を洗っている間、娘を湯船で浮かせて待たせているのだが、娘が足を使えるようになった途端、湯船の中の動きも大きく変わった。
以前はただ浮き輪の端を口でくわえながらぷかぷか浮いているだけだった。
今は足をばたつかせて湯船の中を移動したり、足指を掴んでお尻を浮かせたり、何だか運動になっている。
娘も今までより楽しそうだから湯船に浮かすアヒルでも買ってみようかと思っている。
赤ちゃんの成長のために親が手伝えること
youtubeでずり這いトレーニングの動画を見ていたら、トレーナーの方がおっしゃっていた。
とにかく見守ること。手を出さないこと。
ついつい手伝ってしまいたくなる親心を封印し、自分の力でできるようになるのを見守らなければいけない。
私たち親ができる手伝いは、子供が『やってみよう』と思えるように応援すること。
それは足の可動域を手を取って教えてあげることかもしれないし、子供が興味を持つおもちゃを用意してあげることかもしれない。
そういえば娘が3ヶ月になった頃からTVでyoutubeの子供の歌を流すと泣き止むようになり、ついついよく流すようになっていた。
お気に入りの歌もできて笑顔になるのが可愛くて、私の手が離せない時はよく流すようにしていたが、youtubeを見ている時の娘はじっとしてほとんど体を動かしていないことに気づき、今は控えるようにしている。
体を動かせない時は音楽や映像で楽しませてあげるのも悪くないと思うけれど、もう体を動かせる時期がきたので今はストップ。
TVをやめると目の前のおもちゃにより興味を持ってくれるようになったと感じる。
赤ちゃんの成長スピードには個人差がある。
わかっていても同じ月齢の赤ちゃんより遅れていたら・・・
もっと後に生まれた子にすっかり先を越されていたら・・・
親として気になってしまうのは仕方ないことだと思う。
私も同じである。
今の世の中便利なものでネットがあるから大抵のことを調べることができる。
自分の子供の成長が遅いかな?と思ってネットで調べると大抵同じ悩みを抱えているママたちがいて、ネットで相談し、いろんな回答を得ている。たとえ質問を書き込まなくても、私と同じように悩んで検索だけしている人をカウントすると相当数になるはずである。
大体の悩みは自分固有の悩みではなく、多くの人が抱える悩みなのだと知れるだけでも心が軽くなる。
引き続き娘の成長を楽しく、温かく見守っていきたいと思う。
宮部みゆき『誰か somebody』を読んで考える。人生と秘密。
誰か somebody
宮部みゆきさんの現代ミステリーものを読むのは久しぶりだった。
最近は江戸ものを気に入って読んでいたので、現代物はなんとなく現実に引き戻される感じがする。
さて、本題の『誰か somebody』を読んで考えたことを書こうと思う。
(あらすじや書評ではありません)
自分の死後に自分の伝記を作ってもらえることになったらどう思うだろう?
自分が生きた証が残ることは嬉しいことだろうか。
私は『嫌』である。
自分の子供が自分の人生を辿ってくれる?なおさら嫌だと思う。
私が過ごしてきたのはたった30数年の人生。物語の中で亡くなった梶田氏の半分くらいの年齢である。
それでもすでに自分でも思い出したくない過去がある。
自分で思い出すならまだしも、人に知られるのが嫌な過去がある。
自分がしてきた色んな行動を後悔しているからである。
梶田氏は、若い事務員を庇って犯罪を犯したことについて後悔していなかった。
でも人には知られてはいけないことだった。そして真実は消えたように思えても、暗い秘密は娘の人生を苛んでしまった。
私は梶田聡美に同情してしまう。
幼いまま中途半端に親の秘密を知っているため、色んなものに臆病になってしまった。親が何か秘密を抱えている、その内容がわからないから何もかもを関連付けて恐れる。まさに子供が暗闇の中に勝手におばけを見つけている状態だ。
28年間、解決できない不安を抱えてどんなに辛かっただろうと思う。
ただ彼女自身には暗い過去はないのだから自分の人生には立ち向かって欲しかったと思う。妹に対してだって引け目を感じて引っ込んでいるのがもどかしい。
妹の梶田梨子のことは初めから好きになれなかった。描写の中であざとさとやたら気の強さを感じて、いけ好かない感じがした。おまけに姉に闘争心を持って、姉の彼氏に手を出すとは・・・救いようがない!
個人的な話になるが、私は年齢を追うごとに男の不倫や浮気というものを生理的に受け付けなくなった。
騙して2人で高みの見物。汚いと思う。
浮気や不倫する男は自分以上には誰のことも愛せない哀れな奴だ。浮気相手の女も嫌だ。もしかして妻や本命彼女に対して少しでも優越感を感じているのか?バカかと言いたくなる。
彼らはどことなく自信過剰でありながら、不意に第三者に問いただされたりすると、急に言い訳を始め、結局開き直る。浜田や梨子の自分の卑しさを相手に転嫁して醜態を晒す場合もあるだろう。
とまぁ、こんな風に私がイライラと書いてしまうのも、情けないことに自分にもそういう過去があったからである。梨子や浜田と同じことをしたという意味ではないが、まぁなにかと勘違い野郎だったってことだ。
梨子がよく表現してくれているが、10代後半〜20代前半の女性は往々にして勘違いしやすいところがある。
自分を高く見積もりすぎるところがある。知性にしたってそうだし、魅力にしてもそうだ。
実際、その年代の女性の、存在するだけで勝手に放たれる魅力というものは他のどの世代の男女よりも高いかもしれない。本人もそう感じているし、周りの大人達も(あえてかもしれないが)そのように扱ってくれることが多い。それでまるで無敵になったような気になってしまう。結局その勘違いが黒歴史を作ってしまうのだが…。
話が逸れてしまった。
とにかく、今自分の人生を振り返ってみても、私は何も成し遂げられていない。
梶田氏のように誰かを助けるために重い秘密を抱えているわけでもない。誰かに感謝されるような生き方もできていない。平凡ながらもまっすぐに生きてきたと言うことすらできない。
例えるなら、莉子のようにある年齢までは勝気でやってきて、ある年齢からは聡美になった感じである。
自分が身勝手に生きてきたことを今の年齢の私は後悔している。
だけど、後悔している一方で、過去や経験が今の自分を作ってくれたとも考えている。
実は、今の自分はそんなに嫌いではない。勘違い期を経て、他人を敵対する期間を経て、辛いことや苦しいことを経験し、今1秒1秒を大切にしよう思える今がある。過去があるから今を感謝できる。だから過去のことは大切にしようと思う。大切だけど、過去のことは自分だけの秘密にしたいとやっぱり思う。
繰り返しになるが、私は自分の死後に自分の人生を掘り返されるのは嫌である。
特に娘には昔の私ではなく、今の私を見てもらいたい。褒められた人物ではないけれど、ただ、娘のことを一生懸命娘を愛している(愛していた)ということだけ伝わればそれでいい。
自分が生きた証なんて残らなくて全然いいのだ。
ふと、近くの人間がどう考えるか聞いてみたくなった。人それぞれの考え方があるかもしれない。
私は夫に上記の疑問を投げかけてみた。
『もし娘が自分の伝記を作ろうとしたらどう思うか?』
なんと、夫からの返事はこうだった。
『嬉しいと思う』
夫婦でも大違いである。
『自分を見てくれていたことが嬉しい。知ろうとしてくれたことが嬉しい』と彼は言った。
なるほどなぁ。
夫は真っ当な人生を歩んできたのだろうな。自分に恥ずかしくない人生を歩んできたのだろう。私はそう思った。私とは逆である。
私は彼が自信を持って嬉しいと言えることを嬉しく思った。
幸せは続かない。生きていることが怖くなったら。
とりとめのない内容を書きます。
人生には本当の幸せはないとつくづく思います。
大切なものが増えれば増えるほど生きづらくなる。
大切なものを失うかもしれない恐怖が、いつも私の人生に影を落としているのです。
数年前に、姉の乳がんが見つかりました。
姉から電話で報告を受けた時、足が震えて恐怖で大泣きしてしまいました。
姉は『大丈夫よ!』と言ってくれましたが、私は怖くて怖くて涙が止まらず、夜も眠れず、仕事中も苦しく、ご飯も喉を通らなくなりました。
今考えたら自分中心のひどい反応をしてしまったと思います。
姉のことを思ってというより、自分が姉を失うかもしれない恐怖に耐えられなかっただけなのです。
代われるものなら自分が代わりたいと心から思いました。
どうして自分じゃないのか、せめて自分のことだったらこんなにもどかしい思いをしないのに!
姉は若くて元気な女性でした。ガンという病気の特性上、そのことも自分にとっては恐怖の一因になっていました。
ネットで乳がんのことを検索しました。
怖くてあまり目を通し切ることができませんでした。
(後々、怖くてもしっかりと知ることが逆に恐怖を払拭する材料になることがわかりました)
当たり前にある日常が一つの事実を知るだけでこんなに暗転してしまうなんて。
昨日までと何も変わらないのに、自分の身近な人の体に異変が起きていると知るだけで、昨日まで楽しかったことが全て色を失って、何も意味のないことに思えるのです。
『こんなことしている場合じゃない』
『だれか早くこの状況をどうにかして!』
叫び出したい衝動にかられて、じっとしているだけでも息が切れそうになります。
今まで病気の人の話、辛い話はたくさん聞いたことはありました。
自分が病気かもしれない、と不安でたまらなくなったこともありました。
でも、想像だけではわかっていませんでした。
身近な人を失うかもしれないというときに一番最初に感じる感情というのは、悲しみや不安ではなく『恐怖』なのです。
こんなにはっきりとありありと恐怖と不安で身動きが取れなくなったのは初めてでした。
人生で大切なものが増えれば増えるほど、心配事は増える。
失う悲しみも増える。
ペットを飼って可愛がっていてもいずれ死んでしまう。
死んだら後悔が残る。
家族が人間関係で悩んでいるのを見ると自分も苦しくなる。
大切なものが増えると、その分悲しみが増える。
ずっと、出来るだけ、出来るだけ、身近な存在を作りたくないと思っていました。
自分が急に死ぬことになっても、残される人のことを心配しないで死ねる方が良いと考えていたのです。
でもそんなこと現実に無理なのです。
半年前に娘が誕生しました。
無事に生まれてくれたことが奇跡としか思えないし、本当に嬉しかった。
生まれる前からずっと怖かった。
無事に出産日を迎えることができるだろうか。健康に生まれるだろうか。
急に死んじゃったりしないだろうか。
神様から代償なしに与えられた命はいつ神様の元へ帰ってしまってもおかしくない。
生まれてから数ヶ月は一瞬でも目を離すのが怖かった。
大切なものがあるということはそれを失うかもしれない恐怖と常に隣り合わせということです。
私は死んだら終わりとは思っていません。
死んだ後には天国があり、生きている時より幸せで苦しみのない世界に行くことができる。そう考えています。
それでも今持っているもの、今与えられているものを、突然失うかもしれない、いや、どう頑張ってもいずれは必ず失ってしまうのだということを不意に考えるとどうしても怖くなってしまうのです。
ただ私はひたすら恐れながらの人生を過ごしたいとは望んでいません。
苦しすぎるから。
だから今この一瞬を、一瞬だけを意識して生きることにしています。
過去のことを考えると後悔で苦しいし、先のことを考えると恐怖で足が竦みます。
だからこの一瞬。今だけを考えて生きるようにしているのです。
それで全ての恐怖が払拭される訳ではないけれど、随分楽になったのは確かです。
先のこと(特に恐れていること)を考えそうになると即その思考をシャットダウン。
すぐに息を吐きます。
しっかりと息を吐きます。
息のことだけ考えます。
私は最近また怖いことが起きました。
もう逃げられないことです。
立ち向かうこともできないことです。
でも思います。怖いこと、悲しいこと、それらに立ち向かう必要なんてないと。
たとえ乗り越えたとしてもこれが最後の苦難という訳ではないのです。
だから生きているのが怖くなる。
死ぬまで恐怖との戦いは続くのです。
嵐のようにやってきて、息を潜めて耐えて、やり過ごしたと思ったらまたやってくる。
だからひたすら呼吸に集中して目の前のことに一喜一憂しない。
もともと恐怖は目の前にはない。
過去や未来にある。
だから前のことも先のことも考えない。
私はそうやって、冷静に、動じず、静かに生きています。
6か月の赤ちゃん 片足が曲がりにくい・・・もしや股関節脱臼?
赤ちゃんが6ヶ月を迎えました。
ここまで元気に育ってくれていることに毎日感謝しています。
そんな私の赤ちゃんですが、最近気になることが1つ。
それは片足が異様に曲がりにくいということ。
これまでに、上半身を起こす、おもちゃを掴む、ということができるようになりました。
いよいよずり這いスタートか?!という矢先に足の硬さに気づいたのです。
曲がりにくい脚
ずり這いをするときは、カエルのように足を曲げ、太ももを脇腹にくっつけるようにM字に曲げることになります。
赤ちゃんが自分の足の可動域を認識していない場合があるので、私は赤ちゃんの足を持って、『ここまで曲げることができるよ』と伝えようとしました。
ところが、右足は簡単に曲がるのに、左足はつっぱるように硬くなって、なかなか曲がってくれないのです。
角度を変えても曲がらない。
力を入れても余計つっぱる。
膝の後ろをなにやら触りまくっているとなんとか曲がってくれました。
曲げてみると問題なく曲がる。
左足だけ曲げる習慣がなかったから変な力が入ってしまっていたのかもしれない。
赤ちゃんをうつ伏せにした状態で、両足首を掴み、繰り返し足の曲げ伸ばしをしてみました。
数回したところで、また左足が伸びた状態で固まる・・・
ふっと浮かんだのは『赤ちゃんの股関節脱臼』という言葉。
赤ちゃんの股関節脱臼
赤ちゃんの太ももの付け根の関節が外れる病気。
足も動くし、痛がらないから発見が遅れることがある。
もし脱臼しているなら生後半年までに治療を始めないと、関節が固まってしまってからだと大掛かりな手術が必要になることもある。
特に脱臼を起こしやすい赤ちゃんには以下のような特徴があるそうです。
- 向き癖がある
- 女の子(男の子より多い)
- 家族 に股関節の悪い人がいる
- 逆子(骨盤位)で生まれた
- 寒 い地域や時期(10月~3月)に生まれた(脚を伸ばした状態で衣 服でくるんでしまうため)
日本小児整形外科学会は、このリストの複数に当てはまる場合は股関節脱臼の有無を確認してもらうことを勧めている。
私の赤ちゃんには2と5が当てはまる。
新生児の頃はむきぐせもあったような気がする・・・。
赤ちゃんの時、散歩にいくときは新生児でも使えるスリングという抱っこ紐をつかっていたが、それも足が伸びた状態になりやすいのでよくないらしい。
ダメダメである。
股関節脱臼の確認方法
脱臼有無の自分でできる確認方法としては、
- 太もものシワ、シワの肉厚が左右対称であるか
- 立て膝にした時に高さが揃っているか
これらのことをチェックすれば良い。
ちなみに私の赤ちゃんの場合このチェックには問題がないように思う。
もちろん3ヶ月検診(4ヶ月を迎える直前に集団で行った)でもこれらの点はチェックされており、問題なしとの診断を受けている。
一旦安心しているものの、見逃し診断も増加しているそうで安心できない。
脱臼予防について
赤ちゃんを脱臼させないように気をつけるべきことは、簡単にいうと脚をまっすぐの状態にしないこと。
赤ちゃんの足はM字に開いているのが自然の姿。
抱っこ紐の中に入れたり、脚を自由に動かしづらい服を着せてまっすぐの状態をキープしてしまうと脱臼してしまいやすいそうだ。
向きグセがよくないというのも、むきぐせがあると片足が立てひざになったままキープされてしまうという点がリスクだから。
赤ちゃんはびっくりするほど未完成で柔らかく、それでいて痛みや不調を伝えられないのである。
だから親は色々な勉強が必要になる。
私が股関節脱臼という言葉を知ったのは、実は結構最近で抱っこ紐について色々調べている時にたまたま知りました。
そしてそのときは赤ちゃんの足になんの違和感も感じていなかった。
最近赤ちゃんの脚を触るようになって違和感を感じると同時に股関節脱臼という言葉をもう一度思い起こすことになったのです。
赤ちゃんの6・7ヶ月検診を今月末に予定している。
その時にもちろん脚について確認してもらう予定だが、1日でも早く受診した方が良いのだろうか。
受診にためらいがあるのは今自分の住んでいる地域はコロナの非常事態宣言発令地域であり、病院にいくことで思わぬ感染症にかかることもあるのでそちらも心配だったりする。
とりあえず、股関節の曲げ伸ばしを練習していて、最初の頃より両足楽に曲げることができるようにはなっている。
自己チェックで問題がないことを信じて数週間先の検診日まで待っても良いのか、一刻も早く確かめてもらった方が良いのか。
いずれの選択でも先々後悔しない結果になりますように・・・
宮部みゆき『あかんべえ』を読んで考える。私の中のおばけ。
宮部みゆき『あかんべえ』を読んで
あらすじ
江戸・深川の料理屋「ふね屋」では、店の船出を飾る宴も終ろうとしていた。主人の太一郎が胸を撫で下ろした矢先、突然、抜き身の刀が暴れ出し、座敷を滅茶苦茶にしてしまう。亡者の姿は誰にも見えなかった。しかし、ふね屋の十二歳の娘おりんにとっては、高熱を発して彼岸に渡りかけて以来、亡者は身近な存在だった――。この屋敷には一体、どんな悪しき因縁がからみついているのだろうか?
☆わたしの感想文☆
あるおばけは『こっちへ来い。積年の恨みを晴らそう』と誘惑する。
あるおばけは『こちらへ来てはいけない。間違った思いを手放せ』と忠告している。
私はどちらの道に進むだろうか。
物語の中には人を疑い恨みに恨んで思いつめ、生きた人間を殺そうとし、最終的には人の姿を失い、鬼の姿になっていくおばけが登場した。
自分はそうなりたくない!と思った。一方で、こうなってしまうかも・・という可能性も否定できない自分がいる。
人の思いというのは、それだけでおばけを作ってしまうほどのエネルギーとパワーがあるらしい。そしてそのエネルギーは同じ思いを抱える人間を引き寄せ、取り入れ、より大きな力を持ってしまう。プラスの思いだったら良いけれど、その反対の思いだったら恐ろしい。
思いの中でも負の思い、人を憎む思い、恨みつらみ、嫉妬には特に強烈な力があると思う。自分も30年あまりの人生を生きてきて、自分が抱えるそういう思いで、自分自身が散々苦しんできたのでよくわかる(^_^;)
そんな思いを抱えている時に、「さあ、その思いを今こそ晴らそう」って誘惑されてしまったら。。果たして「いやだ」と言い切れるだろうか。「必要ない!」と拒めるだろうか。
物語の中では、おばけと同じ思い(しこり)を抱えている人間だけが、そのおばけをみることができ、交流することができる。自分も同じ道を歩むか、その思いを断ち切って生きていくかの決断を迫られる。
主人公である12歳の少女目線でみると、物語に出てくる大人たちの私欲中心の姿は実に滑稽だ。ひとりひとりの心の中の描写があるわけではないが、言葉の端々、目つき、行動に表れるその人の内心を冷めた目で見てしまう。
そしてよくよく読むとその滑稽な大人たちと同じような思いを抱えている自分に気づく。
すぐにくよくよして参ってしまうお多恵。人を羨む銀次やおゆう。頑固な七兵衛。自分の欲しいものを得るために邪魔者を排除したいと願うおつた。過去を後悔しているおさき・・・。
たくさん滑稽な大人が出てきた。たくさんの思いを抱えた、罪を抱えたおばけたちが出てきた。ひねくれた人物も出てきた。彼らと自分は違う、とは言えない自分がいる。
この本を読んで、教えられた今の私に必要なこと。
それは『自分の抱えている思いに客観的な視点を持つこと』。
でも冷静になれば、おりんの目で自分に目を向ければ、自分の心の中の思いにどう対処していくのが良いか少しずつわかってくるような気がする。
怖いおばけが誘惑しにくる前に、いや誘惑しにきても、『いやだ!私はそちらに行かない!』と断固として宣言できるよう、自分の心の中のしこり、迷いを整頓していきたいと思う。
まとめ
宮部みゆきさんは、主観的な表現ではなく客観的な様子の描写で心を表すのめちゃくちゃうまい。その場にいて、自分が相手を見てる気がしてくる。なんなら相手の思惑を読者である自分だけが見透かせたように感じてしまう。
コロナでなかなか外に出られない中、本があるっていうのは本当にありがたい。
中でも宮部みゆきさんの小説はハマり込める上に、重すぎることもなく、読後感もスッキリなので大好きです。本を読んでいて思うのは宮部さんは人の機微をよくわかっている、それでいて人のことが好きなんだなってこと。人のことが好きな作家さんの本は人からも好かれる。それを体現してくださっていると思います!
赤ちゃんの顔は変わる?写真付き赤ちゃんの顔の変化(出産〜8週目)
こんにちは!
赤ちゃんが生まれてようやく半年を迎えようとしています。
ここまであっという間。
怒涛のようにすぎた半年だったけど、振り返ってみたらいつの間にかベビーはめちゃくちゃ成長してる!!
今回は私の赤ちゃんの出産直後からの顔の変化をまとめてみました。
あぁ懐かしい。可愛い赤ちゃん。
出産直後
直後の写真は撮る余裕がなく、こちら出産2日後くらいかな?
だいたい目をつむってます。開けてる時は不思議そうな顔で回りを見回して・・・
(実際は目が見えてないらしい)
本当に小さい可愛い赤ちゃん。羊水でむくんだりふやけています。
出産した時は背中まで黒い毛が生えててびっくりしたなぁ。しばらくしたら全部なくなってました。
1週目の赤ちゃん(生後7日)
まだ顔がむくんでいるので目が奥の方にある感じ。
鼻の下の線やほうれい線がくっきりあり、間寛平さんにとても似ている印象でした。
黄疸が出るので皮膚は茶色くなっています。
2週目の赤ちゃん(生後14日)
なんだか不機嫌そう😅
まぶたが重いから黒目しか見えない!
鼻もむくんでるので存在感があります。
いつも小さな手をぐーにして顔のそばに持って行ってました。
まだまだ小麦肌。基本的には気難しそうな表情。
3週目の赤ちゃん(生後21日)
まつげのないから寝ている時は目がただの線のようになります。
赤ちゃんを育ててみて知ったのは子供の寝顔はとっても可愛いということ!
4週目の赤ちゃん(生後28日)
新生児が終わる頃の赤ちゃん。
皮膚はまだ茶色っぽい。髪の毛は上に向かって伸びています。
なんとなく大人っぽい表情で、新生児の頃は赤ちゃんという感じがあまりしません。
5週目の赤ちゃん(生後35日)
目が空いている時間が多くなってきましたよ!60サイズの服でもこの通りブカブカ。
胴の長さが足りなくて片方側の足の部分に両足が入ってしまうことも多かった^^;
6週目の赤ちゃん(生後42日)
むくみが取れて横顔がだんだん綺麗になってきています。
少しずつまつげも伸びてきています。
7週目の赤ちゃん(生後49日)
皮膚は引き締まってくる一方、表情は緩くなってきました。
ジッと見てるれることも・・・。
まだまだ笑顔は出ませんが可愛いらしい顔になってきました。
8週目の赤ちゃん(生後56日)
あっ!笑ってる!
と言っても本人の意思で笑う感じではなく、ご機嫌な時に唇を指でトントンしてあげるとニコッと口が開くようになりました。
この三角の口を見た時とっても嬉しかったなぁ。自分で笑ってくれたり、声を出して笑ってくれるのが待ち遠しかったです。
ここまで生まれてから8週目までのお顔の変化でした!
たった2ヶ月で、シワとむくみが取れ、今度は肉付きがよくなっていきます。
入院中は黄疸でとっても色黒に見えたけど、だんだん白くなっていきました。
(両親とも小麦肌よりなので、真っ白ではありませんが)
最初の1ヶ月が一番大変でした。
臨月〜陣痛までの寝不足。そして出産後も引き続き眠れない。起きてる時間はひたすら泣く赤ちゃんをあやすか授乳する。胸は硬くなって痛いのに母乳だけで足りてる感じもなくミルクも作ってたし、少しでも見てないと呼吸止まらないか不安で・・・。
赤ちゃんの表情が少しずつ明るくなる頃には私の表情も明るさを取り戻したように思います。
次は9週目〜16週目(2ヶ月〜4ヶ月)をアップ予定です。
赤ちゃんの育児記録、育児日記について
出産後、ブログの更新が一気に減ってしまいました。
0歳児の育児は思ったよりハードでブログに向かうことができなかったというのが言い訳です・・・^^;
しかしながら、なんの記録も残してないかというともちろんそうではなく。
赤ちゃんの記録は携帯アプリの育児記録『ぴよログ』でバッチリ残しています!
睡眠時間・授乳時間・ミルクの量・排泄の記録・お風呂の時間・薬の記録
病院では手書きで排泄やミルクの量を記録していたのですが、退院後はお手軽な携帯アプリで。
アイコンをタップするだけなのでかなり簡単に記録できます。
↓1日の流れ。
授乳時間は右乳左乳、それぞれストップウォッチで記録したら何分授乳したかじどうで計算して記録してくれます。
1日の記録をつけたらその日合計何回排泄したか、何分授乳したか、何時間睡眠したか一目で見ることができます。
1日の流れが決まってくるので自分のスケジュールを立てやすくてめちゃくちゃ便利☆
↑これは例として睡眠時間のまとめ。
食事時間やミルク量、排泄などでそれぞれまとめが見れます。
欲を言うならまとめて見たとき週毎の平均を見れるようにしてほしいなぁ。
直近1週間の平均睡眠時間、とかね。
体重を入れたら成長曲線との比較も…
旦那さんと共有できるアプリなので、旦那にもインストールしてもらって、離れたところからでも赤ちゃんが今どういうことしているか確認してもらったり、私が離れている時に赤ちゃんのお世話をしてもらったら記録つけてもらったりしています。
日記を書いたり写真を貼ったりできるので育児日記もつけられますよ。
つけた記録はPDF化することもできるので印刷すれば冊子として保管することもできるみたい。
私も最初は一生懸命日記もつけて写真もアップしていたのだけど、だんだんそちらの方はサボり気味に気味に・・・。
というのも写真と日記は別のアプリを使うようにしてるので、そちらが中心になりました。
そのアプリの名前はwellnote(ウェルノート
簡単に言うと家族版facebookみたいなものかなぁ。
写真を1回につき最高10枚UPできます。
私は1日1回必ず写真と一緒に赤ちゃんの日記をつけてUPしています。
もはや日課(笑)
これを両家の親、親しい親族、私の姉妹たちが毎日チェックしてくれてて、本当に楽しみにしてくれてるんです。
赤ちゃんの写真ってそれだけで癒されるんですね。
私も夫も空き時間があれば頻繁に開いて『この花ちゃんが可愛い』『この表情が面白い』ってずっと眺めています。
実家の家族や姉も里帰りが終わってから4ヶ月欠かすことなくチェックしてくれて、離れているのにみーんな花ちゃんのファンになってくれています。
そして写真をみたり、コメントをくれたり、こちらの日記の内容に沿って必要だと思いついてくれたものを送ってくれたり。
離れた家族が身近に感じられるアルバムだなって感じます。
私は旦那の同僚から勧められたってことでwellnote使っていますが、他にも『みてね』っていうアプリとか使ってる人結構いそう。
私の友人も使っています。
いやぁ便利な世の中になったもんだ。
wellnoteは無料で使えるけど、月に1回指定の住所へ写真付きハガキを送ってくれるサービスがあって、それを使う場合は送料込みで1枚350円(+税)かかります。
このカレンダーっていうのがハガキ2枚分のサイズで結構小さいんだけど、もらった方は喜ぶから、私は両家の実家と、私の母の姉(私からしたらおば)の家に送っています。
ほんまに喜んでくれますよ!赤ちゃんの成長もめちゃくちゃ喜んでくれるし、お年寄り(失礼)はこういうことが嬉しいんだなって改めて気づかされました。
私としても育児の孤独感が解消されてます。
こういうの両親・義理の親と離れて暮らしている人は活用してみて欲しい。
うちは未婚の姉妹が多いので姉妹たちもいつも携帯でチェックしてくれている。
本当に嬉しい(涙)わざわざカレンダー作らなくても日々の記録を自分で見返すだけでも楽しいからこういうアルバムアプリめちゃくちゃおすすめです。
3か月半の赤ちゃん 手足バタバタ 昼寝短かく夜寝ない><
赤ちゃん(花ちゃん)3か月半になりました。
最近の変化と言ったら、もっぱら手足バタバタ、時々奇声。
声を出している時はしょっちゅうで、ベビージムで一人で遊ばしてたら延々声を出しています。
元気なことは何よりだ^^
ここのところ結構早めに寝るようになって、19時までに寝つき、その後3、4時間ごとの授乳を挟みながら朝まで寝てくれてたのに、昨日から急に寝なくなっちゃった!!
眠たそうに泣くから寝室へ連れて行ったのに泣いて寝ず!
もう一度遊ばせて疲れた頃に寝かしても寝ず!
母乳が足りないのかとミルクを足しても寝ず!
気分転換に22時頃に外の散歩に連れて行きました。
散歩で気分転換は成功したようで、機嫌はよくなってくれたけど、それでも寝付かず・・・。
結局23時過ぎまでベッドの上でひたすら手足を振り下ろしてバタンバタンさせていて、その後パタリと止まってスースー(u_u)zzz
私と一緒のベッドで寝かしているのですが、朝方もバタンバタン、元気に手足を振り下ろす音がしてました😅
私が寝ているうちに花ちゃんも疲れたようで寝落ちしてましたが。
昼寝も一人でよく寝られてたのに、昨日はすぐ目が覚めちゃって全然寝てなかったなぁ。
いつも2時間ごとくらいに寝たり起きたりを繰り返してたのに、昨日今日と昼寝の時間もとっても短い。せっかく寝付いても私がベッドから離れてしばらくすると泣いてる声がきこえてくる。
どうも生後3、4ヶ月の睡眠退行期に入ったみたい。
《3〜4ヶ月の睡眠退行期の特徴》
□比較的まとまって寝ていたお昼寝や夜の睡眠が短くなる。
(お昼寝が30分で終わってしまう!など)
□寝ぐずりが酷く、お布団で寝てくれない。
□昼夜、寝付いても短時間で声を上げ眠りが浅くなったように感じる。
□日中や眠る前などぐずる時間が多くなる。
睡眠退行期①~生後3~4ヶ月 – 子どもの睡眠相談室「クークールナ」- CouCou Luna –
睡眠サイクルができ始めることと、脳の発達が主な原因とのこと。
この時期は赤ちゃんが疲れてギャン泣きする前に、こまめに寝かせてあげることが大事らしい。(連続して起きていられる時間は1時間半〜2時間。それ以上起こしていると疲れてギャン泣きコースに入る)
1週間から1ヶ月くらい続く可能性あり!
そっか〜。そういう時期なのか。
花ちゃん暇なのかな?もっとたくさん動きたいけどあまり動けないから寝られなくなっちゃったのかな?って思ってました(^_^;)
今寝返り練習中だけど、まだまだできる気配はない。
体をうんと反らせて頑張ってるけど、体重移動ができてないから、中途半端なところで止まって悔しそうに泣いています。
手足バタバタ中も疲れてくるのか、最初は機嫌よく動かしているけれど、次第に泣き声が混じり出す。
退屈なんだろうな、って思います。
縦だっこして歩いてあげたり、私にもたれさせる格好で座らせてあげたりすると満足そうにしているから。
大人と同じように動いたり、いろんなものを見たいんだろうなって思います。
散歩に連れて行っても、昔は寝てばかりだったけど、今は結構起きて景色眺めたりしているし。
焦ったそうにしている花ちゃんがとってもいじらしい・・・。
なるべく希望に添えるように、抱っこしたり散歩したりしてあげてます。
帝王切開から3日目 24時間母子同室スタート
今日から24時間赤ちゃんと一緒!
ってことだったのですが、実は昨日の晩から今朝にかけても同室で過ごしさせてもらってます(笑)
赤ちゃんの様子
夜中〜早朝
夜は順調に寝たり起きたりを繰り返してくれてたものの、朝方ちょっとピンチに。
4時のミルク後、ぐずり続けてなかなか寝てくれない!!
激しく泣いちゃう瞬間もあって一気に疲れちゃった。。
ミルクでもなく、トイレでもなかったらもう、打つ手なし😅
7時のミルク前になってよーやく、寝てくれました。
いや〜ドキドキした。
今朝の便からついに胎便が終わり、ミルクの便になってました!
朝〜昼
赤ちゃんの顔、間寛平さん似のおじさん顔からすこーしずつふっくらして女の子らしい顔になってきた(^^)
重たい一重に少しずつ二重のラインも入ってきました。
奥二重なのかな?
しかめっ面したり眉を上げたり、真っ赤な顔で泣いたり、どれもこれも愛おしい!!
午前中に沐浴に行ってもらい、私はその間に沐浴のDVDを観てお勉強。
明日から自分で沐浴させてあげるらしい。
沐浴後お腹が空いて泣いちゃったみたいで、片方の目元から涙をつつーと落としながら帰ってきました。
初めての涙!
いつも泣いてるけど涙なんて出てないから、初の涙がとても可愛かったー!
あー親バカだぁ(^◇^;)
顔といえば、赤ちゃんの顔が少し黄色くなってきたような。
黄疸が出だしたみたい。
午後〜夜
頻繁にミルク欲しがるし、あげたぶんはしっかり完食してくれる。
逆に足りないようでグズる時間が多くなってきた。
母体の様子
母乳について
昨日と変わらず、絞れば数滴出る感じ。
赤ちゃんは器用にずっと吸い続けてくれているのに。
胸が張るって感覚がまだない。。
胸自体はいつもより大きくなってる感じだけど、それだけ。
いつからしっかり出てくれるんだろう?
ちょっと不安です…。
お通じについて
手術のせい?
手術後一度もお通じが来てないってことでマグミットを処方されることになりました。
今のとこまだ効果でていないけど、早く効いてほしい。
妊娠中のような浮腫みは一切なくなったけど、便秘は継続中。。
痛みについて
朝方まで痛んだけど、日中はいつも6時間でのんでる痛み止めを15時間のまずに過ごすことができました!
痛みは確実に減ってる!
悪露も術後に比べて少しずつ減ってきてるきがします。
子宮もそんなに痛んだりしないけど、相変わらず咳、くしゃみ、爆笑はできない!
早く良くなーれ!
母子まとめ
赤ちゃんはすくすく。
元気に成長中です。
声も大きくなったし顔も可愛くなってきた。(親にしか認識できない程度の変化かもしれないけど(^◇^;))
0時から24時までの排泄と服用物など。
赤ちゃん
おしっこは12回、うんち2回。
ミルク40ccを6回、60ccを2回。
24時就寝
私
おしっこ7回、うんちまだ出ず!
痛み止め2回(ロキソフェロン)
便秘薬2回(マグミット)
24時就寝
今日から夜も同じベッドで添い寝です!
おやすみなさい😴
出産10日目(退院後4日目)の目の奥の痛み、頭痛、熱、再入院
退院後、自宅でなんとか子育てを頑張っていた。
お部屋で赤ちゃんと2人で寝て、夜中の授乳やミルク、寝付かせるのだって必死。
出産前から寝不足が続いている中で、豆電球の中での授乳は自分が寝てしまわないようかなり緊張。
家事はほとんどやってないけど、晩御飯作りくらいはしなきゃと思って、一度車に乗せてもらって姉とスーパーへ買い物へも行った。(ベビーはお留守番)
退院してから4日。
元気にしているつもりだったけど、どうも頭が痛い。
頭というより、目の奥が痛い。眼精疲労みたいな痛み。
眼精疲労の目薬を買っていれてみたけどあまり変化なし。
入院中にちょっと読書していたのが悪かった?
夜中の授乳でずっと下向き続けていたから眼圧が上がった?
ネットでも産後目の奥が痛くなるのが普通なのか調べまくった。
めぼしい記事は出てこない。
そのうち子宮も痛くなってきた。
スーパーから帰った時はちょっと悪露が増えていたけど、確かよく動いたあとは悪露が増えると病院でも言われていたので問題ないと思った。
でも退院してから、そういえば日に日に痛くなってる。
入院中に処方されていたロキソフェロンを3回のんだ。
なぜか効いてこない。
体全体が明らかにしんどくなってきて、退院後初めて熱を測って見た。
38.7度
・・・!!
熱が出た時は乳腺炎と区別するために、肘でも測るように言われていたので再度肘で測ってみる。
同じだけ高熱。
産後10日以内の熱は、産じょく熱という子宮内の感染からきていることがあると聞いたことがある。
熱があることがわかると、改めてしんどくてたまらないことに気づく。
もう夜だったけど出産した病院へ電話へ連絡。
救急で診てもらえることになった。
病院についたら、痛みで動くのも辛い状態になっていることに気づいた。
家の中にずっとこもっていたので、特に長距離を動くこともなかったからこんなに痛みがひどくなっていることに気づいてなかった><
病院で、採血し、内診し、どの部分が痛むのかを確認された。
やはり痛みは子宮からきているとのこと。
採血の結果によるけど、熱が出て、子宮が痛んでいるということは感染症にかかっている可能性が高い。そうだとしたら1週間くらいの入院になると言われた。
もし入院になったら赤ちゃんはどうなるんだろう。。
真っ先にそれを考えた。
赤ちゃんと1週間も離れるなんて考えられない。
その間にやっとで始めた母乳も終わってしまうだろう。
スーパーへ行くのに40分離れただけで不安だったのに。
産後のホルモンのせい?不安でたまらなくなって、少し涙がでてしまった。
50分くらい待って採血の結果が出た。
退院時より白血球の量がすごく増えていた。これは何かに感染して体が戦っている最中とのことらしい。
やっぱり入院することになった。
赤ちゃんのことを効いてみると、「個室に入院するなら一緒に入院しても良い」と言われた。
よかった!!
一緒に入院なら離れなくて済むし、退院後も毎日必死で不安に過ごしていたけど、この出産した病院でまた入院なら看護師さんたちもいるし安心して過ごせる。
付き添いできてくれていた姉に入院グッズを取りに帰ってもらった。
1時間半くらいして家族みんながベビーもつれて病院へきてくれた。
待ち時間の間に自分でも驚くほど胸が張ってしまい、看護師さんにコールして初めて搾乳機を使った。
胸が張るって、胸が重く冷たくなって固まっちゃうことだったんだ。
60ccほど搾乳できた。
いつの間にか母乳が出るようになっていたことに驚いたけど、この状態で赤ちゃんと離れてしまったらと考えるとかなり怖い・・・><
帝王切開後 今後の子作りについて
いよいよ退院前日。
daiminが病室で過ごしていると、出産の時に立ち会ってくれた助産師さんがお部屋に来られました。
体の調子を口頭で確認してくれた後、退院後の夫婦生活について話が及びました。
出産直後の女性はそういう気にはならなくても、旦那さんの方はそうではないかもしれないということ。
悪露が出ている間、授乳している間は基本的には排卵がストップしているので妊娠する可能性は低い、だけど妊娠しないとも言い切れないので、子供を望まない場合は避妊する必要があること。
帝王切開で出産した場合は、次の妊娠に最低でも1年、できれば1年半以上は空けること。そうでないと切った場所の皮膚が薄くなっているので妊娠に耐えられない可能性がある。
この病院ではないけど、子宮破裂があったと聞いたり、この病院でも薄くなった皮膚から中が透けちゃいそうなことがあったみたい。
そういったことをお話しされました。
大人になってから性教育って受けることもなかったから、いつもネットで情報を得るばかりだったけど、病院ではちゃんと指導してくれるんだな〜とちょっと感動。
帝王切開では年子はムリみたいです。そうでなくても、産後、身体の痛み、授乳など想像以上の大変さに、すぐ妊娠なんて考えられないんだけど(^^;)
とはいえ私のいとこは帝王切開だけど年子で生まれてる(しかも30年以上前に)そういうこともあるみたい。
今の私は、つわり、出産の辛さをまだ忘れてないので、次の子を考える余裕なんてないでございますよ。
実はこの助産師さん、私の出産に立ち会ってくれたのですが、私自身もう痛みで目が開けられない状態になってからこの病院に運ばれてきたので、顔をちゃんと見たのは出産後です。
ただ、運ばれてきた時に「担当する助産師の〇〇です」って挨拶してくれたのが聞こえていたので、名前は覚えていました。
そのことを話すと、
「あぁ、あの時は痛みで覚えてないかと思ってたけど、聞こえてたんだね^^。
痛がりながらdaiminさんが四つん這いになってたのは、赤ちゃんが逆旋回になっているのを体が戻そうとして自然とそう動いてたんだよ。頑張ったね。」
と言われました。
痛みで四つん這いになったせいで逆旋回になっちゃったんじゃなく、逆旋回だったから自然と四つん這いになったということらしい。
人体って不思議すぎる・・・
お話しのあとは、バースレビューという出産を経ての感想シート(出産直後に提出していたもの)に助産師さんがお返事のコメントをつけて返してくれました。
いよいよ明日は退院。
沐浴のこと、母乳のこと、家事のこと、心配なことはたくさんあるけど、とにかく無事に帰宅できますように!