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32歳 平凡に生きています。

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宮部みゆき『あかんべえ』を読んで考える。私の中のおばけ。

宮部みゆき『あかんべえ』を読んで

あらすじ

江戸・深川の料理屋「ふね屋」では、店の船出を飾る宴も終ろうとしていた。主人の太一郎が胸を撫で下ろした矢先、突然、抜き身の刀が暴れ出し、座敷を滅茶苦茶にしてしまう。亡者の姿は誰にも見えなかった。しかし、ふね屋の十二歳の娘おりんにとっては、高熱を発して彼岸に渡りかけて以来、亡者は身近な存在だった――。この屋敷には一体、どんな悪しき因縁がからみついているのだろうか?

 

☆わたしの感想文☆

あるおばけは『こっちへ来い。積年の恨みを晴らそう』と誘惑する。

あるおばけは『こちらへ来てはいけない。間違った思いを手放せ』と忠告している。

私はどちらの道に進むだろうか。

 

物語の中には人を疑い恨みに恨んで思いつめ、生きた人間を殺そうとし、最終的には人の姿を失い、鬼の姿になっていくおばけが登場した。

自分はそうなりたくない!と思った。一方で、こうなってしまうかも・・という可能性も否定できない自分がいる。

 

人の思いというのは、それだけでおばけを作ってしまうほどのエネルギーとパワーがあるらしい。そしてそのエネルギーは同じ思いを抱える人間を引き寄せ、取り入れ、より大きな力を持ってしまう。プラスの思いだったら良いけれど、その反対の思いだったら恐ろしい。

思いの中でも負の思い、人を憎む思い、恨みつらみ、嫉妬には特に強烈な力があると思う。自分も30年あまりの人生を生きてきて、自分が抱えるそういう思いで、自分自身が散々苦しんできたのでよくわかる(^_^;)

そんな思いを抱えている時に、「さあ、その思いを今こそ晴らそう」って誘惑されてしまったら。。果たして「いやだ」と言い切れるだろうか。「必要ない!」と拒めるだろうか。

 

物語の中では、おばけと同じ思い(しこり)を抱えている人間だけが、そのおばけをみることができ、交流することができる。自分も同じ道を歩むか、その思いを断ち切って生きていくかの決断を迫られる。

 

主人公である12歳の少女目線でみると、物語に出てくる大人たちの私欲中心の姿は実に滑稽だ。ひとりひとりの心の中の描写があるわけではないが、言葉の端々、目つき、行動に表れるその人の内心を冷めた目で見てしまう。

そしてよくよく読むとその滑稽な大人たちと同じような思いを抱えている自分に気づく。

 

すぐにくよくよして参ってしまうお多恵。人を羨む銀次やおゆう。頑固な七兵衛。自分の欲しいものを得るために邪魔者を排除したいと願うおつた。過去を後悔しているおさき・・・。

 

たくさん滑稽な大人が出てきた。たくさんの思いを抱えた、罪を抱えたおばけたちが出てきた。ひねくれた人物も出てきた。彼らと自分は違う、とは言えない自分がいる。

 

この本を読んで、教えられた今の私に必要なこと。

それは『自分の抱えている思いに客観的な視点を持つこと』。

 

でも冷静になれば、おりんの目で自分に目を向ければ、自分の心の中の思いにどう対処していくのが良いか少しずつわかってくるような気がする。

怖いおばけが誘惑しにくる前に、いや誘惑しにきても、『いやだ!私はそちらに行かない!』と断固として宣言できるよう、自分の心の中のしこり、迷いを整頓していきたいと思う。 

 

まとめ

宮部みゆきさんは、主観的な表現ではなく客観的な様子の描写で心を表すのめちゃくちゃうまい。その場にいて、自分が相手を見てる気がしてくる。なんなら相手の思惑を読者である自分だけが見透かせたように感じてしまう。

コロナでなかなか外に出られない中、本があるっていうのは本当にありがたい。

中でも宮部みゆきさんの小説はハマり込める上に、重すぎることもなく、読後感もスッキリなので大好きです。本を読んでいて思うのは宮部さんは人の機微をよくわかっている、それでいて人のことが好きなんだなってこと。人のことが好きな作家さんの本は人からも好かれる。それを体現してくださっていると思います!