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宮部みゆき『誰か somebody』を読んで考える。人生と秘密。

誰か somebody

 

宮部みゆきさんの現代ミステリーものを読むのは久しぶりだった。

最近は江戸ものを気に入って読んでいたので、現代物はなんとなく現実に引き戻される感じがする。

 

さて、本題の『誰か somebody』を読んで考えたことを書こうと思う。

(あらすじや書評ではありません)

 

 

自分の死後に自分の伝記を作ってもらえることになったらどう思うだろう?

自分が生きた証が残ることは嬉しいことだろうか。

 

私は『嫌』である。

 

自分の子供が自分の人生を辿ってくれる?なおさら嫌だと思う。

 

私が過ごしてきたのはたった30数年の人生。物語の中で亡くなった梶田氏の半分くらいの年齢である。

それでもすでに自分でも思い出したくない過去がある。

自分で思い出すならまだしも、人に知られるのが嫌な過去がある。

自分がしてきた色んな行動を後悔しているからである。

 

梶田氏は、若い事務員を庇って犯罪を犯したことについて後悔していなかった。

でも人には知られてはいけないことだった。そして真実は消えたように思えても、暗い秘密は娘の人生を苛んでしまった。

 

私は梶田聡美に同情してしまう。

幼いまま中途半端に親の秘密を知っているため、色んなものに臆病になってしまった。親が何か秘密を抱えている、その内容がわからないから何もかもを関連付けて恐れる。まさに子供が暗闇の中に勝手におばけを見つけている状態だ。

28年間、解決できない不安を抱えてどんなに辛かっただろうと思う。

ただ彼女自身には暗い過去はないのだから自分の人生には立ち向かって欲しかったと思う。妹に対してだって引け目を感じて引っ込んでいるのがもどかしい。

 

妹の梶田梨子のことは初めから好きになれなかった。描写の中であざとさとやたら気の強さを感じて、いけ好かない感じがした。おまけに姉に闘争心を持って、姉の彼氏に手を出すとは・・・救いようがない!

 

個人的な話になるが、私は年齢を追うごとに男の不倫や浮気というものを生理的に受け付けなくなった。

 

騙して2人で高みの見物。汚いと思う。

浮気や不倫する男は自分以上には誰のことも愛せない哀れな奴だ。浮気相手の女も嫌だ。もしかして妻や本命彼女に対して少しでも優越感を感じているのか?バカかと言いたくなる。

 

彼らはどことなく自信過剰でありながら、不意に第三者に問いただされたりすると、急に言い訳を始め、結局開き直る。浜田や梨子の自分の卑しさを相手に転嫁して醜態を晒す場合もあるだろう。

 

とまぁ、こんな風に私がイライラと書いてしまうのも、情けないことに自分にもそういう過去があったからである。梨子や浜田と同じことをしたという意味ではないが、まぁなにかと勘違い野郎だったってことだ。

 

梨子がよく表現してくれているが、10代後半〜20代前半の女性は往々にして勘違いしやすいところがある。

自分を高く見積もりすぎるところがある。知性にしたってそうだし、魅力にしてもそうだ。

 

実際、その年代の女性の、存在するだけで勝手に放たれる魅力というものは他のどの世代の男女よりも高いかもしれない。本人もそう感じているし、周りの大人達も(あえてかもしれないが)そのように扱ってくれることが多い。それでまるで無敵になったような気になってしまう。結局その勘違いが黒歴史を作ってしまうのだが…。

 

話が逸れてしまった。

 

とにかく、今自分の人生を振り返ってみても、私は何も成し遂げられていない。

梶田氏のように誰かを助けるために重い秘密を抱えているわけでもない。誰かに感謝されるような生き方もできていない。平凡ながらもまっすぐに生きてきたと言うことすらできない。

例えるなら、莉子のようにある年齢までは勝気でやってきて、ある年齢からは聡美になった感じである。

 

自分が身勝手に生きてきたことを今の年齢の私は後悔している。

 

だけど、後悔している一方で、過去や経験が今の自分を作ってくれたとも考えている。

 

実は、今の自分はそんなに嫌いではない。勘違い期を経て、他人を敵対する期間を経て、辛いことや苦しいことを経験し、今1秒1秒を大切にしよう思える今がある。過去があるから今を感謝できる。だから過去のことは大切にしようと思う。大切だけど、過去のことは自分だけの秘密にしたいとやっぱり思う。

 

繰り返しになるが、私は自分の死後に自分の人生を掘り返されるのは嫌である。

特に娘には昔の私ではなく、今の私を見てもらいたい。褒められた人物ではないけれど、ただ、娘のことを一生懸命娘を愛している(愛していた)ということだけ伝わればそれでいい。

自分が生きた証なんて残らなくて全然いいのだ。

 

 

ふと、近くの人間がどう考えるか聞いてみたくなった。人それぞれの考え方があるかもしれない。

 

私は夫に上記の疑問を投げかけてみた。

 

『もし娘が自分の伝記を作ろうとしたらどう思うか?』

 

なんと、夫からの返事はこうだった。

『嬉しいと思う』

 

夫婦でも大違いである。

 

『自分を見てくれていたことが嬉しい。知ろうとしてくれたことが嬉しい』と彼は言った。

 

なるほどなぁ。

夫は真っ当な人生を歩んできたのだろうな。自分に恥ずかしくない人生を歩んできたのだろう。私はそう思った。私とは逆である。

 

私は彼が自信を持って嬉しいと言えることを嬉しく思った。