ぴーちくぱーちく

32歳 平凡に生きています。

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幸せは続かない。生きていることが怖くなったら。

とりとめのない内容を書きます。

 

人生には本当の幸せはないとつくづく思います。

大切なものが増えれば増えるほど生きづらくなる。

 

大切なものを失うかもしれない恐怖が、いつも私の人生に影を落としているのです。

 

数年前に、姉の乳がんが見つかりました。

姉から電話で報告を受けた時、足が震えて恐怖で大泣きしてしまいました。

 

姉は『大丈夫よ!』と言ってくれましたが、私は怖くて怖くて涙が止まらず、夜も眠れず、仕事中も苦しく、ご飯も喉を通らなくなりました。

 

今考えたら自分中心のひどい反応をしてしまったと思います。

姉のことを思ってというより、自分が姉を失うかもしれない恐怖に耐えられなかっただけなのです。

 

代われるものなら自分が代わりたいと心から思いました。

どうして自分じゃないのか、せめて自分のことだったらこんなにもどかしい思いをしないのに!

姉は若くて元気な女性でした。ガンという病気の特性上、そのことも自分にとっては恐怖の一因になっていました。

ネットで乳がんのことを検索しました。

怖くてあまり目を通し切ることができませんでした。

(後々、怖くてもしっかりと知ることが逆に恐怖を払拭する材料になることがわかりました)

 

当たり前にある日常が一つの事実を知るだけでこんなに暗転してしまうなんて。

 

昨日までと何も変わらないのに、自分の身近な人の体に異変が起きていると知るだけで、昨日まで楽しかったことが全て色を失って、何も意味のないことに思えるのです。

『こんなことしている場合じゃない』

『だれか早くこの状況をどうにかして!』

叫び出したい衝動にかられて、じっとしているだけでも息が切れそうになります。

 

今まで病気の人の話、辛い話はたくさん聞いたことはありました。

自分が病気かもしれない、と不安でたまらなくなったこともありました。

でも、想像だけではわかっていませんでした。

身近な人を失うかもしれないというときに一番最初に感じる感情というのは、悲しみや不安ではなく『恐怖』なのです。

 

こんなにはっきりとありありと恐怖と不安で身動きが取れなくなったのは初めてでした。

 

人生で大切なものが増えれば増えるほど、心配事は増える。

失う悲しみも増える。

 

ペットを飼って可愛がっていてもいずれ死んでしまう。

死んだら後悔が残る。

家族が人間関係で悩んでいるのを見ると自分も苦しくなる。

大切なものが増えると、その分悲しみが増える。

 

ずっと、出来るだけ、出来るだけ、身近な存在を作りたくないと思っていました。

自分が急に死ぬことになっても、残される人のことを心配しないで死ねる方が良いと考えていたのです。

でもそんなこと現実に無理なのです。

 

半年前に娘が誕生しました。

無事に生まれてくれたことが奇跡としか思えないし、本当に嬉しかった。

 

生まれる前からずっと怖かった。

無事に出産日を迎えることができるだろうか。健康に生まれるだろうか。

急に死んじゃったりしないだろうか。

 

神様から代償なしに与えられた命はいつ神様の元へ帰ってしまってもおかしくない。

生まれてから数ヶ月は一瞬でも目を離すのが怖かった。

 

大切なものがあるということはそれを失うかもしれない恐怖と常に隣り合わせということです。

私は死んだら終わりとは思っていません。

死んだ後には天国があり、生きている時より幸せで苦しみのない世界に行くことができる。そう考えています。

 

それでも今持っているもの、今与えられているものを、突然失うかもしれない、いや、どう頑張ってもいずれは必ず失ってしまうのだということを不意に考えるとどうしても怖くなってしまうのです。

 

ただ私はひたすら恐れながらの人生を過ごしたいとは望んでいません。

苦しすぎるから。

だから今この一瞬を、一瞬だけを意識して生きることにしています。

過去のことを考えると後悔で苦しいし、先のことを考えると恐怖で足が竦みます。

だからこの一瞬。今だけを考えて生きるようにしているのです。

 

それで全ての恐怖が払拭される訳ではないけれど、随分楽になったのは確かです。

先のこと(特に恐れていること)を考えそうになると即その思考をシャットダウン。

すぐに息を吐きます。

しっかりと息を吐きます。

息のことだけ考えます。

 

私は最近また怖いことが起きました。

もう逃げられないことです。

立ち向かうこともできないことです。

 

でも思います。怖いこと、悲しいこと、それらに立ち向かう必要なんてないと。

たとえ乗り越えたとしてもこれが最後の苦難という訳ではないのです。

だから生きているのが怖くなる。

 

死ぬまで恐怖との戦いは続くのです。

嵐のようにやってきて、息を潜めて耐えて、やり過ごしたと思ったらまたやってくる。

だからひたすら呼吸に集中して目の前のことに一喜一憂しない。

 

もともと恐怖は目の前にはない。

過去や未来にある。

だから前のことも先のことも考えない。

私はそうやって、冷静に、動じず、静かに生きています。